父はいつ父になるのだろう(国際女性デーによせて)

今日は国際女性デーです、父のことを書きました。
葭本未織 2022.03.08
誰でも

一日のうちで集中力が一番高い時はいつか、というのを、こちら(阪神間)に帰ってきた2019年秋からずっと考えている。今日、10日ぶりに外に出て「たぶん、移動し終わった瞬間だな」と思った。

外に出て、電車に乗って、歩いて、なんがしかの目的地を目指す。体を「移動」の状態においているとき、わたしの頭の中も激しく動いている。

書くことは、留め置くことだから、移動している最中にはできない。だから目的地に着いた瞬間、バーッと書く。特に、家に帰ってきた瞬間。脳みその中で走り回っていた言葉たちが一斉にわめく。「早く!文字に起こして!脳みその中は狭い!早く出して!」

だけど、実際問題、なかなか言葉たちの言うことを聞くことはできない。

それは、家に帰ると犬が待ち構えているからである。

犬の名前はロビン。3歳の遊び盛りのダックスフンドだ。犬に詳しい人なら、ダックスフンドがそのおっとりした見た目と反して、バリバリの狩猟犬であることを知っているだろう。ロビンと暮らし始めて一日2時間「とってこい」(キャッチボール)をさせられるので、わたしの二の腕はたいへん引き締まった。

毎日、帰ってきたわたしにロビンは駆け寄る。口におもちゃをくわえて、しっぽをぶんぶんと振りながら、嬉しくて耳が下がりまあるくなった頭を、わたしのすねにこすりつけてくる。

鍵っ子だったわたしは、ロビンに、子供の頃の自分を重ねてしまう。ひとりぼっちの家で待つのはさみしい。しかもわたしには本やパソコンがあったけれど、ロビンには何もない。罪悪感で胸がいっぱいになって、胸だけじゃなく頭もいっぱいになって、「ロビンただいま、待っててくれてありがとう、姉ちゃんと遊ぼう」と言ってしまう。

書かれるはずだった言葉は、脳みその中で、しゅわしゅわと消えてゆく。

父がロビンをペットショップで衝動買いして家に連れてきて、わたしがロビンの面倒を見るようになった2019年秋からずっと、こんな日が続いている。

父のことは好きだ。でも、父は動物を、心のある生き物として世話をしない。動物園の檻の中にいる生き物のように、飼育する。ロビンは、父が自分をないがしろにしていることをわかる。犬を飼っている人ならわかるだろうが、彼らは人間が思っている以上に賢い。とくにロビンにとって父は、怖い「犬身売買」の現場から、連れ出し救ってくれた最愛の人なのだ。一番愛情を受けたい人にないがしろにされて、ロビンは傷つく。だから父が帰ってくると、ロビンは自傷をする。父はそれを無視する。わたしはそれが許せない。

22歳の時のことだ。8年飼ったフクロモモンガが死んだ。だのに父は一週間後に新しいモモンガを、豆粒みたいなベイビーをペットショップで買ってきた。許せなくて、「モモ(当時飼っていたモモンガの名前)じゃなくて、お父さんが死んだらよかったんだ!」と泣いて怒った。父はショックを受けていた。

でもその2年後に、父は突然、子犬のロビンを買ってきた。

父にわたしの怒りが届かなかったのは、結局、母がモモンガのベイビーの世話をしたからだ。モモンガ(ジコ、という名前がつけられた)は手乗りになって、今は毎日わたしと寝ている。夜、ゲージから出してやると、部屋中をサーキットトレーニングする。手を宙に差し出すと、天井の梁からひょいと、人差し指、目がけて飛び降りてくる。疲れると布団の中にもぐりこみ、わたしの腹や足のあたりにしがみついて、丸くなって寝る。意外なほど賢く、とてもかわいい。

でも、そんなふうだから、父は「勝手に生き物を買って帰ってきても、結局は丸く収まる」と勘違いしたのだろう。

丸く収まったのは、自分以外の人が、一生懸命、心ある生き物を心ある生き物として世話をしたからなのに。そしてその愛情深い世話の時間は、他のこと―――主に創作に使われるはずだった時間を溶かしてつくられていることを、父はわかってくれない。

育児に対しても父はこんなふうだったんだろうなと思う。だから我が家は、母はずーっと父の態度に怒っていて、父はそれを無視し続けている。二人には二人のリズムがあって、楽しそうにしているときもたくさんあった。今もそうだ。そこそこお似合いのカップルだと思う。でも、子供の心は休まらない家庭であった。これも、今も変わらない事実だ。

わたしは結婚しないし、子供も産まない。

それは、29歳になってようやく「生殖は女の義務」という強迫観念から解き放たれたからでもあるし、子育てという暗い道を母、一人で歩かせようとする日本社会へのカウンターでもある。

父も生まれた時から父だったわけではない。男は仕事だけしてればいい、死ぬほど仕事しろ、それが男らしさだ、という社会が、父を父にしたのだから。

『おいてきぼりの桜の園』(2021) 鈴木明日歌さん演じるかなこ、市原ユウイチさん演じる呂。(撮影:佐々木啓太)

『おいてきぼりの桜の園』(2021) 鈴木明日歌さん演じるかなこ、市原ユウイチさん演じる呂。(撮影:佐々木啓太)

ということで今日の写真は、『おいてきぼりの桜の園』より、母になるバンドマン・かなこ(鈴木明日歌さん)と、父親になりきれないサラリーマン・呂(市原ユウイチさん)です。芸術家の女性と、サラリーマンの男性、というのは完全にうちの両親のイメージなので、作家(わたし)の言語化できないこだわりが強く、創作時にはお二人を色々と大変な目に遭わせてしまいました……一緒に創ってくださって本当にありがとうございました。

わたし的には、こういった男女をカップルではなく、立場や年収は違えど、友人同士として描くことができたことが、成長でした。実は『おいてきぼりの桜の園』まで一度も「友人同士の男女」というキャラクターを創ったことが無かったのです。

おそらく、gekidanUに入って、はじめて、同年代の既婚の異性の友達(ヒガシくん、電気マグロさん、よりぐちさん)が、できたからだと思います。書くものというのは、やっぱり、置かれた環境や精神状態が大きく作用します。自分をのびのびさせてあげられる環境に置き続けたいです。ロビンとの関係はあまりそうではないので、困っています……ロビンのことを、とても愛しているので、余計に。

明日は、もう少しだけ、ロビンに待ってもらうことをトライしたいです。玄関にかけよるロビンに「ただいま、待っててくれてありがとう、姉ちゃんは文章書くから遊ぶのは少しだけ待って」と言いたいです。クーンと悲しい声で鳴かれても、罪悪感を持たないでいたいです。

きっと、たくさんの「お母さん」が、同じことを思っているんだろうなあ。

そのとき「お父さん」は何をしてるんだろう?

よしもとみおり

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