『おいてきぼりの桜の園』を書き直しています

今日のtheLetterは執筆記録です。
葭本未織 2022.03.16
誰でも

やはり書くしかないのだ、という気持ちになった。わたしは今、執筆期間にある。

書いているのは、小説が1本と戯曲が1本。それから、12月にgekidanUで創作した『おいてきぼりの桜の園』の直しをしている。このあいだ北海道戯曲賞を受賞した『リアの跡地』のように、より多くの人に読んでもらえないかと考えているからだ。

しかしこの戯曲の手直しで悩ましいのは、作中にロシアにまつわるモチーフが多々登場するところだ。『おいてきぼりの桜の園』は名前の通り、チェーホフの『桜の園』を原案にしている。この作品を通して、わたしはロシア(ソ連)の文化や政治が、日本に与えた影響を探りたかった。執筆していた2021年10月、その時の日本の状態が末期のソ連と似ているという指摘を読んだからでもある。つまり、一党が政治を独裁した末の、政治家の腐敗。それに対してアクションできない経済的にも精神的に貧しい国民たち。ソ連は帝政ロシアを倒してつくられたが、その70年の歴史の中で、結局、帝政ロシアと同じ、権力者のために国民から搾取する国家になった。ソ連が崩壊してから30年が経とうとしているが、さて今どきはそうでない国家のほうが珍しく、権力者が国民から搾取しない国家があるなら教えて欲しいと思うぐらいだ。日本もそうだろう。

わたしは『桜の園』が好きで、舞台と映像で5本ほど見てきた。なんとなくの印象だが日本で上演される際、ロマンスに仕立てあげられてしまうことが多いと思った。それは、そもそも戯曲に書かれた女地主ラネフスカヤと商人ロパーヒンの関係がエモすぎるのが悪いのだ。演劇は(多くの演出家があらがおうとしているがそれでもやっぱり)心にエモーショナルに作用する作品が観客に受容されやすい。「いい作品だ」という評価になり、評価は更なる観客を呼ぶ。またエモシーンの制作というのは、創り手側の手ごたえも感じやすい。俳優の肉体にキャラクターの感情の流れが乗って、シーンが立ち上がってくる。だから『桜の園』を組み立てていくなかで、ロマンスの要素を廃することはむつかしい。わたしもえらそうなことを言ってるが、実際、『桜の園』を題材にしてそのことが身にしみてわかった。

だけど、わたしが『桜の園』を原案に本当にトライしてみたかったことは、チェーホフが『桜の園』で描いた帝政ロシアの身分制度による差別と人権侵害への批評を、現代の日本に持ってくることだった。『桜の園』を通して、現代の日本にある「生まれによって起こる差別と人権侵害」を考えてみることだった。

2021年10月に書き上げた戯曲では、そこまで行き着けなかった。行き着ける要素はあったかもしれないが、自分の整理が追い付いておらず、書けなかった。わたし自身も途中で見切りをつけて、違うテーマを選んで創作した。

だから2021年12月に上演した演劇『おいてきぼりの桜の園』は、出演陣とスタッフのおかげで見ごたえのあるものになったとは思うが、では『桜の園』をモチーフではなく「原案」にできたか?20世紀の『桜の園』へ送る、21世紀のわたしからのアンサーになったか?と問われると、答えはノーである。タイトルに既存の作品名を入れる以上、書くものはその古典作品へのアンチテーゼを含んだアンサーになるべきだと思う。書き直すときには、その点をしっかり改善していきたい。

もしかしたら上演時とまったく違う物語になるかもしれない。

そんな風な予感は、あくまでも自分自身への問いかけが起点であってほしい。その起点が、権力者が始めた戦争であってほしくない。でも、現在そうなっている。

『おいてきぼりの桜の園』(2021年 撮影:佐々木啓太)

『おいてきぼりの桜の園』(2021年 撮影:佐々木啓太)

上演から3ヶ月経った2022年3月16日現在において、戯曲の中で、2021年12月の上演台本と同じように、女の子たちがロシアの演劇の話をしロシアの歌を歌うこと。それは2021年12月と同じようには、許されない表現だ。明確な反戦の意図が無いのにロシアを扱うことは、ロシアの権力者を増長させ、ウクライナの人々をメディア攻撃することにつながるからだ。しかも上演台本では、物語の舞台は2025年になっている。はたしてその頃に戦争は終わっているのだろうか。それまでにどれだけの人が、権力者によって犠牲になるのだろうか。

チェーホフの『桜の園』で、最後ロパーヒンが屋敷を発って向かうのは、ハリコフである。20世紀にウクライナの一部になり、いま、戦地になっているハリコフである。

この状況下でロシアを題材にした作品を知らない誰かに読んでもらおうとするならば、本当にハリコフに住んでいる人、いま殺されそうになっている人の気持ちを、自分ごととして考えること無しに、物語の中に組み込んでは絶対にいけない。権力者によってめちゃくちゃになってしまった都市を、人々を、物語の中でもおもちゃにするなんてこと、絶対にあってはいけない。

そして自分事として考えるというのは、平たく言えば、抵抗運動をすることにほかならない。権力者に本気で激怒して、権力者を支えようとする自分の国の権力者に激怒して。

そうして始めて、困難の中にある人を描く許しが(かすかに)出る。

『おいてきぼりの桜の園』(2021年 撮影:佐々木啓太)

『おいてきぼりの桜の園』(2021年 撮影:佐々木啓太)

よしもとみおり

***

追記:

先日書いた、多くの女優に性加害をした男性監督の作品が、公開されるらしい。製作側の声明文を読んで疲れてしまった。疲れ切ってしまった。開いた口が塞がらない。それは慣用句的に呆れているという意味でもあり、文字通り、もはや開けた口を閉じる気力すら無いと言うことでもある。

性暴力は心の殺人です。

被害にまつわる言葉を口にするとき、あるいは文字に起こすとき、被害者の身心は、加害の経験を再体験する。フラッシュバックで脳がパニックを起こし自殺してしまいそうになりながらも、被害について話すのは、二度とこんなことが起こらないでほしいからだ。二度とこんなことが起こらないようにと願うのは、性暴力の加害がどれだけ被害者の人生を狂わせるか知っているからだ。身心を痛めつけられ、社会からも排除される。同じ苦しみを知らないだれかに味わってほしくない。だから言葉にする。

製作側が流し見し、読み捨てた告発の文章に、被害者がどれだけの犠牲を払っているか。考えろ。こんなことまで言わないと分からないのか。言っていてもわからないのか。

劇団TremendousCircusさんにて、9月末に完全新作演劇を発表します。詳細日程は2022年9月28日(木)~10月1日(日) 。阿佐ヶ谷シアターシャインにて。つきましてはオーディションを開催いたしますので、ご応募お待ちしております。楽しい時間を一緒に過ごせますように。2022年3月27日(月)〆切です。

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