『リアの跡地』北海道戯曲賞大賞受賞のおしらせ
こんにちは、よしもとみおりです。
北海道戯曲賞大賞を受賞しました。
本当にありがとうございました。
こうやって改まると何を書けばいいのかわからなくなるのがわたしの悪い癖です。とりあえず、がんばってタイプを続けます。
「文章を書くと言うのは運動で、とにかく気が進まなくても原稿用紙の上に腕を置くんだ」と、昭和の作家・吉村昭は言っていました。
この言葉は、荒川区のゆいの森図書館にある吉村昭記念文学館で知りました。吉村昭は歴史小説を多く書いていますが、舞台となる土地を取材をするだけでなく、その土地の資料を隅から隅まで読み込むことで、歴史的事実の共通認識から、少しズレた、新解釈を展開する小説を書く人でした。わたしは吉村昭のその姿勢が好きです。わたしもまた、そういう作家だからです。
『リアの跡地』を書くことになった最初のきっかけは、自分のおじいさんの物語をしてほしい、というgekidanUの主宰・遠藤遊さんの言葉です。南千住のアトリエで、かつてこの場所がアトリエではなく家だった頃おこった出来事を遊さんから聞きました。彼から語られる遠藤家の家系図がだんだん現在に近づくに連れ、あるタイミングでわたしは「それってリア王じゃん」とつっこみました。
他人様の家の事情を「リア王」に似ていると言ってしまうのは、「リア王」を読んだり見たことのある方だと、まあまあ失礼なことだとわかっていただけるかと思います。が、その時からわたしには、隅田川を臨む南千住の土地が、冷たい風の吹き荒れるドーバーに見えてきたのです。
そこからは、まず一週間、南千住を歩きました。6月ごろだったと思います。日差しがとっても強かった。緊急事態宣言の出ている南千住は、何にもないと地元民が揶揄すれどそれでもやっぱり東京の街で、人の数がわたしの住んでいる阪神間とは全然違いました。
インバウンドの頃につくられたであろう観光案内マップを手に、感動するぐらい下町の三ノ輪橋商店街のあたりや、打って変わってタワマン振興地の汐入地区、少し離れて東京球場跡(南千住野球場)や素戔嗚神社へ行ったり、そのまま千住大橋を渡って隅田川を眺めて、公営市場である足立市場を訪れました。
戯曲はやっぱり何と言っても、足で書くのです。
イヤホンをせず、できればiPhoneもしまって街を歩き続けているうちに、わたしの目が変わります。色付きセロハンでつくったフィルターのように、いま目の前に無いはずの人物や風景が、実在する景色に重なる。その瞬間、物語が動き出します。わたしはいつもその瞬間を楽しみに、街を歩き続けています。
こんな手間のかかる大変なことができるのは、正直言って、演劇に対してだけです。わたしは演劇に対してだけ、一番良い自分でいることができます。そういう自分が好きです。でも、演劇をやることは金銭的にも公衆衛生的にも容易でない世の中に、いまわたしはいます。
2月後半は、gekidanUの南千住アトリエの解体作業が始まりました、次年度からの助成金のシステムが変わり、今からの申請は難しそうです。家族がコロナにかかり、自分もかかりました。今日から始まる『すなの』は降板しました。そして戦争がはじまりました。
演劇を続けることが難しすぎる。そうくじけそうになっていたところ、北海道戯曲賞のお知らせが入りました。本当に励みになりました。審査員の皆様、北海道文化財団の皆様、ありがとうございました。
そして『リアの跡地』を一緒につくってくれた俳優陣・gekidanUのみんな、応援してくださった方々、本当にありがとうございます。皆様のおかげでいただけた賞です。
演劇はわたしにとって欠かせないものです。それは、演劇が、わたしがこの世の中を少しでもいい方向へ変えてゆくためにできる一番良い手段だからです。2018年にインタビューで答えた時とやっぱり根底は同じで、わたしの演劇は社会を変えるためにあります。
2022年からはたくさんの演劇を創り、たくさんの文章を書きたいと思っています。脚本家・演出家を探されている方、ぜひお気軽にgirlsmetropolis@gmail.comまでお問い合わせください。
それでは、また!
葭本未織
『誕生日がこない』(撮影:佐々木啓太)
追記
byよしもとみおり
『リアの跡地』執筆当時に俳優陣向けに描いた地図です。こんなふうに地図を描くことは劇作の必要不可欠な過程であり、趣味の一つだったりします。
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