わたしはあなたの言うことはきかない
中学生の頃、毎週訪れていた雑貨屋さんがあった。その雑貨屋さんは当時通っていた児童ミュージカル劇団のお稽古場の近くにあった。
当時のわたしはわたしはとにかく運動が苦手な子供で、特に、ダンスの振り付けを覚えるのが壊滅的に遅かった。演劇業界(?)的にはそういう状態の人を「振り覚えが悪い」と言う。「振り覚えが悪い」ことは、絶対悪であった。才能が無いのねえとあきらめてはもらえなかった。振り覚えの悪さは、精神的なたるみに原因があることになっていたからだ。運動神経が悪いわたしは、全く悪気は無かったのだが、結果的に非常に「ふてこい」生徒になってしまっていた。
ミュージカルの稽古は、一にも二にもダンスである。ミュージカルというジャンルは、ダンスを通して、舞台上での振る舞い、身体の使い方を学ぶから当然だ。同じ劇団に所属している女の子たちはみんなダンスが上手で、先生はそちらのレベルに合わせてレッスンをするから、わたしは毎度ついていけなくて、先週入った子はもちろん、幼稚園の子よりも遅れをとっていて(わたしはダンスができなすぎて先生の計らいで幼児クラスにも出ていた)とにかく本当に何にもできないのに所属年数だけは立派な自分がとにかく恥ずかしかった。自分の自己効力感を大幅に下げたのがこの「できないことをできない場所でできないままただ突っ立っている10年間」だったと思う。
まあ、それは置いといて。こんな感じで、レッスンが嫌で嫌で仕方なかったわたしは、レッスンが始まる前に、駅前の雑貨屋さんに寄り道して、そこにあるハンドメイドのアクセサリーや布小物をしばらく眺めていた。ここの雑貨屋さんの仕入れている商品は全てハンドメイドなのだけれど、縫製やつくりが丁寧で、包装も華やかで、梅田や三宮のデパートに置いてあっても見劣りしないだろうものだった。それらを買わずにぼーっとただ見て、それでなんとか稽古場に行けていた。
その雑貨屋さんに、さっき、15年ぶりに行ってきた。
わたしにとって児童ミュージカル劇団のお稽古場はトラウマスポットでもある。その劇団を退所してからわたしはできるだけ、そのあたりを避けて生活してきた。でも今日、久しぶりにそのあたりを通りかかって、あのお店どうなってるんやろ、と気になった。もう無かったらショックやなあ、と思いながら足を向けたら、昔と変わらず駅前に、そのお店はあった。置いてある商品の雰囲気も変わっていなかった。だけどお店の外見も内装も、全然古びた感じはしなくて。だからつまり、このお店はただそのまま時が経ったのでは無く、「変わらないこと」を努力して、維持してるんだ、と思った。
胸に、迫り上がってくるものがあった。
この15年で変わってしまったものが、あまりにも多い。
わたしが中学生だった頃、大阪はまだ矜持があった。経済的には東京に負けているかもしれないけど、文化や芸術、市民活動の豊かさでは負けてない。私たちの大阪を維持していこう。そういう気概があった。それが、高校生になると政党が変わって、少しずつきな臭くなっていった。わたしに演劇を教えている大人たちに走った最初の激震は、大阪フィルハーモニーと文楽劇場への助成金の大幅カット、だったような気がする。
彼らは言う。競争しろ。満足するな。変われ。変わった先により豊かな自分がいる。それは確かにそうかもしれない。でも、変わるって、どんな風に変わるの? どんな状態に変わったら、豊かになったことになるの?
変われと言う為政者はいつも、変わった先にあるのはどんな状態なのか伝えたりしない。伝えられないまま、ふわっとした言葉に乗って、確かに大阪は変わった。悪い方へ転がり落ちていった。
わたしはまだ子供のままの気持ちで、為政者に聞きたい。
あなたたちに都合のいい「状態」に添うことが変わったことになるの? あなたたちに添うことが良き変化で、添わないことが悪しき停滞なの? あなたたちにによると、変わったことで、変わらなかった誰かに勝利するわたしがいる、らしいね。でもその「勝利と敗北」さえも、あなたたちが創った競争の仕組みでしょ。わたしたちを競争させて得をする人間がいる。誰? わたしたちを争わせて得をするのは誰? あなたたちは、誰?
わたし絶対あなたの言うことなんか聞かない。
変わらずに在ってくれた雑貨屋さんに嬉しくなって、iPadがちょうど入る布バッグを買った。中学生の時も来ていたと言ったら、店主さんはすごく喜んでくれた。帰りにチェーン店じゃないうどん屋でうどんを食べた。ちくわ天がすごく大きかった。
わたしは今だに振り覚えが悪いけれど、それでも次の夏で演劇を続けて20年になる。踊れないのに何言うとんねんと言う感じかもしれないけど、ダンスの振り付けを覚える時、人は、連続する肉体の動きと動きの間に、なんらかの意味を見出すのだと思う。たくさんの意味が積み重なって、物語になるのだと思う。
gekidanU さよならアトリエ公演『誕生日がこない』2022年1月(撮影:佐々木啓太)
よしもとみおり
おしらせ① はじめて京都の劇場で演劇をやります。関西の劇団・コトリ会議の、山本正典さんが雑誌「せりふの時代2021」に書き下ろした短編『すなの』の上演に出演します。演出は泉宗良(うさぎの喘ギ)、出演は葭本未織・田宮ヨシノリです。日程は2022年3月5日(土) 〜3月6日(日)。 京都駅から東福寺方面へ徒歩15分のTHEATRE E9 KYOTOにて。
②劇団TremendousCircusさんにて脚本・演出をつとめます。完全新作です。日程は2022年9月28日(木)~10月1日(日) 。阿佐ヶ谷シアターシャインにて。つきましてはオーディションを開催いたしますので、ご応募お待ちしております。楽しい時間を一緒に過ごせますように。
追記 戦争ーきっとたくさんの人が色々なことを考えていると思う。映像という関与できないメディアを通して、国家による大きな暴力を見せられていること自体が、すでに暴力の被害を受けていることでもある。国家の暴力の前では、わたしたちはどれだけ頑張っても主権を奪われてしまうーそのことを了承させられてしまう。「できないことをできない場所でできないままただ突っ立っている」その状態を、了承させられてしまう。映像を通して感じる無力感。自己効力感を削られている時、私たちの心身は確かに痛む。だからあれは、遠い国のわたしたちにどうしようもできないジェノサイドではなく、今を生きてる小さなわたしたち全員への暴力である。わたしはそう思う。
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